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JB Press 2014.01.08(水)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39609
データが明かす、意外に短い「国家の寿命」国家の寿命が尽きたとき、核のゴミは誰が責任を負うのか?
報道によると、歌手・タレントの郷ひろみ夫人が双子の妊娠4カ月、順調に行けば58歳で2児の父というおめでただそうです。
「子供たちが21歳のときには80歳、31歳のときには90歳」という喜びのコメントも出ていました。
私の身近な方にもお父さんが50代後半、あるいは60歳を過ぎてからのお子さんというケースがいくつかあり、少子高齢化という一般傾向とは別に個人としては「良いことだなぁ」と思っています。
と同時に、シビアに考えておかねばならないこともあるでしょう。
一番典型的なのは「寿命」。
こればっかりは人間の意のままにはなりません。
現在の日本の平均寿命は約82.6歳(2011年現在)、世界第一級の長寿国ということになっています。
ちなみに、男性だけだと79.4歳、女性は85.9歳、いずれも世界平均と比べて約10歳は長生きできる計算になります。
しかし、いくら長寿国だといっても個人の寿命は神のみぞ知る、自分の運命は明日のことも分かりません。
仮に今60歳の人が30年のローンを組むとするなら、完済するときまで元気だという保証は・・・少なくとも同じ人の若い頃と比べて・・・ないと言わねばなりません。
そうであるなら、つまり自分の後先のことが分からない未来に何かを託すなら、文書、例えば遺言書を残しておく必要があるでしょう。
今回はその「寿命」また「遺言」といった事柄を、ちょっと角度を変えて考えてみたいと思うのです。
どう角度を変えるかと言うと・・・人間ではなく、国を単位にして検討してみたいのです。
■国の寿命を考える
「君が代」の歌詞には、
「千代に 八千代に・・・」
という一節が出てきますね。
千年も八千年も長い治世を、ということほぎ歌ではありますが、実際には八百年はもちろんのこと、在位80年というのも、平均寿命から考えて、相当の幸運に恵まれないと達成できない記録だということになるでしょう。
これを1人の王様とか1代の君主で考えなければ、もう少し時間に余裕を作り出すことができそうです。
つまり「ヘンリー8世」とか「エリザベス2世」とかいう具合に代々跡を継いでいけば、個人の寿命より長く「王朝」あるいは「国」の命脈を保つことができる。
では改めて、いまの世界を見渡してみて、「国家の寿命」ってどれくらいなのでしょう?
こんなことを考えるようになったのは私が20代の半ば頃、かつては絶対になくなることがないと思っていたソビエト連邦があっけなく崩壊(1991)するのを見てからのことでした。
私が「徴兵適齢期」と言うべきハイティーンの頃、日本は中曽根康弘政権下、首相の「不沈空母」発言などもあり、幾度も落ち着かない思いをしたものです。
18歳で留学した西ドイツ、特にベルリンでは、壁を警護する重装備のソ連兵なども見、東西冷戦体制は永遠に続く重石であるような気すらしました。
それが、ある歴史の転換点を超えると、まるでつるべを落とすようにガラガラと体制が変わってしまう。
「国にも始まりがあり、終わりがあるのだ」ということを、初めて目の当たりにし、実感を抱きました。
ソ連が誕生したのは正確には1922年の年末、最初の「全連邦ソビエト大会」で建国が宣言されたときからとのことですが、実質的にはロシア革命(1917年の2月革命)で実権を掌握してからの統治ですから、
一番長く見積もって74年(1917-91)、建国宣言以降で考えれば69年間の存続にとどまったわけです。
この「短さ」に、当時26~27歳だった私は改めてショックを受けました。
■人より短い国家の寿命
74歳とか69歳と言えば、ごくごく普通に日本社会でお目にかかる年齢で、例の嫌な言葉「後期高齢者」にすらなっていない、むしろ「若い」と言ってよい年配かもしれません。
かつて東西冷戦であれだけ冷たい「鉄のカーテン」を下ろし続けてきたソ連が、その実70年かそこいらで寿命を終えた・・・当時80代、90代の人の中には「米騒動」や「シベリア出兵」時の記憶がある方もあって、社会体制、その変化のあっけなさを強く印象づけられました。
そこで改めて「国家の寿命」あるいは「年齢」を考えたのです。
ドイツとの縁が深い私は、前年に崩壊した東ドイツ(ドイツ民主共和国)を「東西統一」という意識で捉えていましたが、実際には1949年に生まれ90年に終わった1つの国家だったわけです。
享年41歳と言えばまだまだこれからという年齢でしょう。
1人の人生にも満たない国家の寿命と気がつき、慄然としました。
ロシア革命以後に成立したあらゆる社会主義国家が、すべて人間一代に満たない「年齢」であること、つまり人一人の一生をカバーするだけの政治体制としての安定した寿命を持たなかったこと。
私が小学生時代、米国では「建国200年」が派手に祝われました。1776年の「独立宣言」から2014年で238年を数える計算になります。
ソ連よりは数倍長いですが、それでも200年かそこらの歴史しかありません。
しかし、米国が独立した旧宗主国の英国に目を転じると、いつを「建国」の原点と考えればよいのか、よく分からないことに気がつきました。
確かに古代にもイングランド王国は存在した。
でもたび重なる政権の交代のどこからを一貫した国家と考えればよいか、実は定かでありません。
13世紀プランタジネット朝のジョン(欠地)王時代、貴族たちによって有名な「マグナ・カルタ」大憲章(1215)が突きつけられ、これは名目上は現在まで廃止されず(に忘れ去られ)続いている面があるとのこと。
とはいえ、英国は日本や米国のような成分憲法典を擁さないので、法の成立をもって立国の日付とするのには無理があるかもしれません。
何であれ、800年からの間、英国=大英帝国という国家は、成文法的には様々に正体不明ながら、命脈を保っている、これは間違いのないところと思います。
■意外に若い「国の平均年齢」
現在の国連加盟国を見渡すと、英国の「年齢」は例外的でかなり「高齢」に位置づけられると思います。
ヨーロッパに目を転じれば「ドイツ」という名のつく国ができたのは1871年「ドイツ帝国」統一の時ですし、現在まで存続する「ドイツ連邦共和国」は1949年に生まれたものです。
(これを、先立つ時代のドイツ=ナチスと「一貫したもの」といった議論をしようものなら、大変な騒ぎになってしまいます)
フランスはどうでしょう?
カペー朝フランス王国の成立は10世紀(987年)ですが、これと現在のフランス政府は一貫した同じ政治体制とは言いにくいでしょう。
とりわけ大きな意味を持つのはフランス革命(1792-)ですが、このとき成立した「第一共和制」以降も体制は変化し続け、現在の「第五共和制」が成立したのは1958年のことですから、もしこれ以降を「現在のフランス」と考えるなら、まだフランスは55~56年の歴史しかない国家ということになってしまうかもしれません。
■責任を負える時間はどこまで?
今の議論、何か紙の上の遊びのように思われたかもしれませんが、考えているのは非常にリアルな問題です。
つまり、政治体制が変わったとき、国の何が引き継がれ、何は消滅してしまうのか。
例えば日本は明治維新で近代国家として「新たに生まれた」ような面があります。
しかし、江戸幕府が結んだ「日米和親条約」「日米修好通商条約」の不平等条項の「改正」に、その後の三十余年にわたって苦慮することになります。
「国」の変化と、新旧国家が海外とどのような関係を結ぶか、国際社会がそれをどう受け入れるかは、判で捺したような決まった公式はなさそうです。
あるいは北方四島を巡る状況は日本と「ソ連」の間で発生したものですが、ソ連崩壊後の2010年11月、ロシア共和国ドミトリー・メドベージェフ大統領は北方四島の国後島を同国大統領として初めて訪問しました(2012年7月にも首相の立場で再訪)。
旧ソ連時代には決してなかったことですが、こうした権益や事実上の統治といったものは「国」が変わるときどのように受け継がれていくのか?
領土や資源といったものであれば、後継政府は率先して「権利を有する」と言うでしょう。
でも、ここで私は「負の遺産」マイナスの部分がどう受け継がれていくか、が気になります。
例えば明治維新直後、いまだ実績のない新政府を諸外国が承認するにあたっては、不平等条約の引き継ぎが条件になったのは想像に難くありません。
では、例えば2万年といったすでに人間のタイムスパンを超えた保存期間が必須不可欠の使用済み核燃料の管理といったものはどうでしょう?
まず間違いなく、今地球上に存在するすべての国家が代替わりした後にも、大半の核廃棄物では残留放射能の量はほとんど目減りしていないでしょう。
つまり、明らかにおのれの「寿命」より長く、厳重な管理が必要なものを私たちは背負いこんでいる。
もしこれが個人であれば・・・自分の命が及ばない際のことについては、遺言を書くとともに、その遺言を有効にすべく、一定の資産をも共に残しておかないと、心配でしかたないのではないでしょうか?
仮に58歳で双子の赤ちゃんに恵まれたら、これから10年20年後、自分にもしものことがあっても、子供たちの無事を、と親なら考えて当然でしょう。
で、これと同様のことを思うのです。国についても、また「国の遺言」と言うべきもの、またその遺言を執行するのに足る「財源」の積み立てなどが、必要不可欠なのではないだろうか・・・?
そんなふうに思うのです。
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JB Press 2014.01.15(水)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39661
円やドルでは払えない、放射性廃棄物処理コスト国家の寿命より短い通貨の命、
それなら何が未来を保障する?
前回、私たちが普段持っているイメージと比べて、実は国の寿命が意外に短いことをご一緒に確認しました。
「寿命」と言うと終わりが見えてから後の話になってしまいますが、今回はこれを「国の年齢」という観点から捉え直してみたいと思います。
そんなことをしてみるのには、明確な狙いがあります。
それは、長期にわたって厳重な管理が必要不可欠な放射性物質(とりわけ使用済み核燃料を念頭においていますが)を管理するうえで、そのような「長期保障」、もっと言うなら「基本財」が必要になるかを考えてみたいと思うのです。
「基本財(primary goods)」というジョン・ロールズ(John Rawls)の概念の詳細については次回以降に回します。
また、芸術音楽家に過ぎない私の理解は、ロールズ元来の考え方から外れているかもしれませんが、それならそれで全くかまいません。
大切なのは、ロールズのコンセプトもヒントとしつつ、福島県や青森県の六ヶ所村、あるいは日本のみならずフランスやフィンランド、地球上のあらゆる使用済み核燃料を考えるうえで有効と思われる基本的な考え方を述べるところにあるからです。
■日本の年齢、貨幣の年齢
さて、ここで少し話が飛ぶようですが、「日本」という国の「年齢」を考えてみたいのです。
1940=昭和15年、欽定憲法下の日本は「紀元2600年」を大々的に祝いました。
来るべき戦争に備えての翼賛体制固めの一貫としてのキャンペーンでしたが、当時15歳だった私の母は代々木の練兵場で旗を持って皆で踊らされたそうです。
この「2600年」という数字は、古事記日本書紀などに記された、現在では架空の存在であったことがまず間違いない神話的な天皇の100歳を超えるような長寿、長期在位を真に受けて、最も権威ありげに見せた「万世一系」のシナリオで「神武天皇即位」から2600年というフィクションの年代であります。
が、どう考えてもこれより長い日本の歴史などあり得ない、1つの雛形として、今だけ仮にこれを踏襲すると、西暦2014年は紀元2674年ということになります。
鬼畜米英などが用いる西暦よりも、恐れ多くも660年も古いのであるぞよ、という権威づけの年代ですが、それでもたかだか2700年に足りない。
3000年という歴史を日本はいまだかつて刻んだことがありません。
さらに、これを「価値の踏襲」を含むものとして考えると、もっと短い時間の長さが見えてきます。
日本で初めて鋳造された流通貨幣は「和同開珎」ということになっています。
西暦で言うと708(和銅元)年のことといいますから、ざっと1306年前から日本にはお金があることになるようですが、いまこれをコンビニに持っていっても缶コーヒー1つ買うことはできません。
もちろん古銭のショップなどに持っていけばそれなりの値で引き取ってもらえるでしょうが、通貨としての命はとっくの昔に尽きている。
つまり「お金にも寿命がある」ということですね。
同様に、江戸時代に例えば尾張藩が発行した「藩札」を名古屋市内で使おうとしても、店の奥から店長が出てくるか、あるいはお巡りさん、さらには救急車などがやって来るのが落ちでしょう。
明治、大正、昭和初期の硬貨・紙幣も、すべて「通貨としての寿命」がとっくに過ぎている。
いま私たちのポケットの中を探ってみると、最も古いお金として、回りにギザギザのついた10円玉を目にすることがあります。
以前はもっと頻繁に見ましたが、最近はめっきりお目にかからなくなりました。
昭和28(1953)年製が最も古いので、もしこれが手元にあれば「現役10円玉」として最古参、61歳ということになります。
実はそれより古くから出回っているものに、やはり古いデザインの5円玉があるとのことで、こちらは昭和24(1949)年流通開始ということですから、残っていれば65歳、いずれにしても、2014年現在の日本の平均寿命より若い「最古参硬貨」たちであることが分かります。
硬貨に比べるとヤワな作りである「紙幣」の寿命はもっと短いでしょう。
現在流通している紙幣で一番古いのは、なんと西暦2000年7月19日に発行された例の「2000円札」でどうにか14年目、それ以外の現行紙幣は2004年11月1日発行ということですから、実はまだ10年経っていない計算になります。
こんなふうにしてみると、現在日本で流通している「ゲンナマ」の年齢は小銭でせいぜい還暦を回った程度、大半のお札は小学生程度の年齢、これらを含む現行の「お金」の年齢は、1946年2月16日に幣原喜重郎内閣が行った「新円切り替え」より以前にさかのぼることは困難で、2014年正月現在、いいとこ「67歳11カ月」程度に過ぎないことが分かります。
■資産経済の「ああ無常」
またしても、こんな紙の上の遊びのようなことを、と思われるかもしれませんが、紙幣も貨幣も通貨などというものは実に儚(はかな)い、無常なものであることを、現在の私たちのお金で実感する必要があると思うのです。
たかだか10年、15年であれば私たち人間の寿命と比べても儚いお金の価値ですが、ここで比較したい対象はちょっと違います。
放射性物質の半減期と比較して考えたいのです。
とりわけ現在のような管理通貨制度の下では、政府なり中央銀行なりが1つ姿勢を変えれば、元来のお金は紙くず同然となります。
まして国家の寿命が尽きれば本当にクズになります。
まだ残っている数量が少なければ希少価値を持った古銭にもなるでしょうが、使い古した1万円札など古新聞程度の値もつきません。
友人の外交官の中にはソ連崩壊時のルーブルでこれを経験した人が何人もいます。
つまり、現行の通貨制度を前提とする限り、お金の価値はお金の年齢程度の古さをもってしか存在せず、それは逆立ちしても国家の年齢より前にさかのぼることはありません。
これは他国の通貨についても同様で、米ドルの場合は、細かいことはさておき、大きく見て1929年の大恐慌以前にさかのぼっても意味がないでしょう。
ドルの「価値」の年齢をざっくりと見積もってみることにすると、米国の金本位制が機能しなくなった世界恐慌を基点としても、現在に直結する(かもしれない)「貨幣価値の年齢」はたかだか75年程度にとどまると思います。
よりデリケートに考えるなら変動相場制移行後として1973年以降の41年といったところでしょうか。
欧州の共通通貨ユーロに至っては1999年1月1日の発効ですからやっと15年目、それ以前の西ドイツマルクやフランス・フランは通貨としての寿命をすでに終えています。
翻って、いま日本国内に蔓延してしまったセシウム137の半減期は30.17年程度になります。
たかだか15年ではルート2分の1にしかならない。
元来の存在量にもよりますが、例えば元の量から1桁程度少ない8分の1になるには90年からの時間が必要になります。
ここで先ほどの「貨幣価値の年齢」を思い出してみると、現在のユーロはもちろん、円も、米ドルも、これをカバーするだけの期間、貨幣の価値をいまだかつて持続していないことが明らかになるでしょう。
使用済み核燃料に含まれるセシウム137やストロンチウム90(半減期28.9年)など、いわゆる「短半減期核生成物」と比較してさえ、この体たらくです。
まして「長半減期核生成物」超ウラン元素の仲間であるキュリウム246(半減期約4730年)、プルトニウム249(半減期約6500年)、アメリシウム243(半減期約7300年)、キュリウム245(半減期約8500年)、キュリウム250(半減期約9000年)に至っては、エジプト古王国から現代まで程度の時間を経ても半分になるかどうかといったところで、国家の寿命はもちろん通貨価値の寿命など歯も立たない。
さらにこれを超える「超長半減期核生成物」プルトニウム239でも半減期約2万4000年でやっと2分の1、元来量より1桁少ない放射線量になるには10万年単位の時間がかかってしまう・・・。
という話をよく見るわけで
「いまだかつて人類が直面したことのない天文学的な時間の長さ」
なんて言うわけですが、ここで発想を変えてみてはどうかと思うのです。
つまり「半分になるのに2万年」ではなく「1万年経ってもルート2分の1にしか減らない」と考える・・・。
分かりにくければ、ようするに「100年経ってもほとんど変化がない」、
つまり私たちの寿命が尽きたあとになっても、ほとんど危険性に差がない、人類にとって恒久普遍に危険であり続ける物質を、どのように安全に管理し続けるか?
という問いに近似的に置き換えてみようというわけです。
前回のお話で「国の遺言」が必要では?
と指摘しました。
しかし、ただ単に「遺言」だけ残しても、それを執行するのに足るだけの根拠、世知辛いですがもっとはっきり言えば遺産を残さなければ、自分の死後誰も、そんな遺言など守って執行してくれることはないのではないか?
仮に郷ひろみさんのように58で子供を授かったとして、その子が20歳を迎える78歳まで元気でいられればよいですが、万が一のことがあったとき、成人するまできちんとした教育を受けさせてやってください、と後見人に「国の遺言」と「国の遺産」を同時に委託することで、自分の寿命が尽きたあとでも、遺志が継がれていくはずです。
しかし、管理通貨制度での紙幣は、国の寿命が尽きるとともに紙くずとなる運命でしかありません。
このように考えると・・・国家の寿命を超えて相続可能な「遺産」として「金地金」「銀地金」などの持つ意味合いがクローズアップされてくるように思うのです。
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(つづく)
伊東 乾 Ken ITO
作曲家=指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督
1965年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後進の指導に当たる。若くして音楽家として高い評価を受けるが、並行して演奏中の脳血流測定などを駆使する音楽の科学的基礎研究を創始、それらに基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進している。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトなどが、大きな反響を呼んでいる。他の著書に『表象のディスクール』(東大出版会)、『知識・構造化ミッション』(日経BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『日本にノーベル賞が来る理由』(朝日新聞出版)など。
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