2014年1月22日水曜日

ベトナムが“反中国”に路線転換か:政府・国民ともに広がる反中姿勢

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●(出所:ベトナム政府統計局)


レコードチャイナ 配信日時:2014年1月22日 13時30分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=82142&type=0

ベトナムが“反中国”に路線転換か、
政府・国民ともに広がる反中姿勢―中国紙


●21日、環球時報は、広西大学東南アジア研究センターの柯小寨研究員のコラム「中越関係に“脱線”の可能性が高まっている」を掲載した。写真は中越戦争の国境エリア。現在も「危険」の看板が掛けられている。

 2014年1月21日、環球時報は、広西大学東南アジア研究センターの柯小寨(コー・シャオジャイ)研究員のコラム
 「中越関係に“脱線”の可能性が高まっている
を掲載した。

 1974年1月19日、中国海軍と南ベトナム艦隊が衝突した西沙海戦が勃発。
 中国が勝利を収め、南シナ海のパラセル諸島(中国名は西沙諸島)は中国の実効支配下に置かれることとなった。

 今年はその西沙海戦から40周年。
 18日からベトナムの一部地方でパラセル諸島写真展、西沙海戦戦死者追悼会、「パラセル諸島はベトナム領シンポジウム」などの記念式典が開催されている。
 2月には中越戦争35周年の記念式典も予定されているという。
 中越関係が今までのレールを外れる“脱線”の危険性が高まっている。

 注目すべきはベトナムのナショナリズムの高まりだ。
 南シナ海で中国との対立が続いているが、ベトナム政府、そして一般市民も
 「民族の存亡にかかわる重大事
だと認識を一致させている。

 1991年の中越国交正常化以来、両国関係はさまざまな問題を抱えつつも、大局的には順調に発展してきたと言えるだろう。
 しかし今、情勢は変わりつつある。
 経済改革を進めてきたベトナムはもはや中国に学ぶべきものはそう多く残されていない。
 米国をはじめとする欧米諸国との関係強化、東南アジア諸国連合(ASEAN)への加入などにより安全保障をめぐる状況も変わった。

 ベトナムの政治指導者の一部は来月の中越戦争35周年記念式典を支持する姿勢を示したという。
 これが事実だとすれば、国交正常化当時の共通認識、
 「過去はもう終わったこと。未来を切り開こう」
という共通認識が失われたことを意味するだろう。



サーチナニュース 2014-1-24 16:37
http://news.searchina.net/id/1522146

ベトナムがロシアから潜水艦6隻購入、
中国で「戦力比に影響なし」

 ベトナムがロシアから購入したキロ級潜水艦ホー・チ・ミンが16日、サンクトペテルブルグの海軍造船所でベトナム側に引き渡された。
 ベトナムはロシアとキロ型潜水艦6隻の購入契約をしており、ホー・チ・ミンは2隻目。
 中国中央電視台の特約論説員である洪琳氏は、6隻すべてが引き渡されても、中国・ベトナム両軍の戦力比には影響しないとの考えを示した。
 中国新聞社が報じた。  

 キロ型潜水艦は1番艦が1982年に就航した通常動力の潜水艦。
 排水量は水上航行時が2300-2360トン、潜航時は3000-3950トン、全長は70-74メートルだ。耐圧深度は通常240メートルで最深で300メートルとされる。  
 ベトナムがロシアと6隻の購入契約を締結したのは2009年。
 当初は2013年までにすべて引き渡されるとみられていたが、今年(2013年)1月15日にベトナムのカムラン湾で1隻目のハノイが隊列入りの儀式を行い、2隻目のホー・チ・ミンが16日にサンクトペテルブルグでベトナムに引き渡される状況にとどまっている。  

 洪琳氏はベトナムがキロ級潜水艦6隻を保有することについて、海軍の実力を増強すると同時に、南シナ海をめぐる領有権争いにおいて、発言力を増したいとの意図があると指摘。  
 さらに、ベトナムは海に面して細長い地形であることから、海上の安全には神経質であり、心理的な安心感を得たいと分析。
 さらに、領有権問題では中越間だけでなく、東南アジア諸国の間でも争いがあるので、ベトナムにとって最も重要なことは、東南アジアの国の中で、海における優勢を確保する目的があると論じた。
 
 ただし、潜水艦6隻を購入しても、中国とベトナムの海軍の実力の差を縮めるには、なんら効果がないだろうと、自国側が圧倒的に有利な立場にまるとの考えを示した。  
 ベトナム海軍の兵員数は約4万人で、
 フリゲート艦を7隻、さらに小型のコルベット艦を11隻保有している。

 中国海軍は原子力弾道ミサイル潜水艦、同攻撃潜水艦、通常動力潜水艦、非大気依存推進攻撃潜水艦、航空母艦、駆逐艦、フリゲート艦、揚陸艦などを保有している。  
 中国艦隊は北海艦隊、東海艦隊、南海艦隊がそれぞれの担当海域を持っており、ベトナムとの対抗に全艦隊を投入できる体制ではないが、保有艦数ではベトナムを圧倒している。



JB Press 2014.01.22(水)  細野 恭平
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39730

親日国ベトナムへの投資機会を生かせ
阿倍仲麻呂や元寇時代からの不思議なつながり

日本からベトナムへの投資がここ数年で加速している。

 先週、ベトナムにおける韓国企業の積極的な投資について書いた(「ベトナムで強烈なプレゼンスを発揮する韓国」)。
 一方、ここ数年の勢いでは日本も負けていない。

■活況を呈する日本ブランド

 2013年の日本からベトナムへの投資額は57億4800万ドル。
 大型投資としては、出光興産によるギソン精油所の開発、 
医療機器大手テルモによる血液製剤パック工場などがある。

 日系企業からの投資の目的も、ここ最近は、かなり様変わりしている。

 過去は、ベトナムの低賃金をベースとした輸出向けの工場投資が中心だった。
 最近は、輸出拠点としての投資もあるが、
 むしろ、ベトナム国内の9000万人の内需を狙う投資が目立ちつつある。

 日本の消費者に馴染みのあるところでは、ユニ・チャーム、サッポロビール、日清食品、ハウス食品などが続々と工場を設立したり現地企業を買収。
 ここ数年で、ベトナム内需向けの本格的な現地生産・販売に参入した。


●2011年に竣工したサッポロビールのベトナム工場)(同社ホームページより)

 これまで、ベトナムの人々に広く認識されている日本の食品・消費財メーカーといえば、味の素、エースコックが両横綱だった。

 ベトナムではバイクのことをホンダと呼ぶほどホンダが普及している。
 一方、味の素のうまみ調味料(いわゆる「味の素」)も、「アジ」と固有名詞で呼ばれるほど、ベトナムでは生活の一部に浸透している。

 ベトナムはフォーという米粉の麺が有名だが、「アジ」の入っていない屋台のフォーはほぼ存在しないと言ってよい。

 また、エースコックは即席麺市場のシェア5割を握る現地の代表的な企業に成長しており、もはやベトナム人の間では日系企業だと認識されていないほどの浸透ぶりだ(ちなみに、ベトナムの即席麺消費量は年間50億食、単純計算で、人口1人当たり年間55食食べるという巨大市場だ)。

 この両横綱に、最近進出した日系企業のブランドが加わり、消費財市場は日系ブランドが活況を呈しつつある。

 ベトナムの消費者の日本ブランドへの好感度は、きわめて高い。

 例えば、即席麺市場。最近ベトナムに進出した日清食品の即席麺もあえてパッケージに「JAPAN」を強調している(写真)。


また、エースコックに次ぐシェア2位のマサンという現地大手企業がある。
 同社の最近の商品名は、オマチ、ココミ、ヨシ。
 いずれも徹底的に日本のイメージを打ち出している。

 マサンが特に日系企業と提携しているわけではない。
 日本人が経営陣にいるわけでもない。
 単純に、日本っぽさをアピールした方が消費者の受けが圧倒的に良いため、本家本元の日系企業がむしろたじろぐほどに、ベトナム企業が日本をアピールしている次第だ。

■阿倍仲麻呂、元寇の時代の日越の不思議な縁

 ベトナムがこれほどまでに日本ブランドに対して好意的なのは、
 「日本ブランドの品質に対する信頼」
 「日本人の聡明さ・謙虚さ等に対する敬意」
などが背景にあるのではないかと思う(日本人にとっては、非常にありがたいことだ)。

 この親日的なベトナムと日本は、実は大変興味深い歴史上の接点が2つほどある。
 少し小話的な内容になるが、ご紹介したい。

 日本でもあまり知られていないが、ベトナムの歴史上、最も古い日本人として名前が認識されているのは阿倍仲麻呂だ。
 阿倍仲麻呂と言えば、「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」の歌で有名だ。

 仲麻呂は、遣唐使として渡った中国で、当時の玄宗皇帝に気に入られたため、30年近くにわたって中国の政府高官として過ごした。
 ついに念願かなって、帰国が許された送別の宴で、日本の三笠山を思い浮かべて歌ったのが先の歌。

 しかし、仲麻呂は、実は三笠山を見ることができなかった。
 彼の乗った帰国船は、暴風雨に遭遇し、現在のベトナム北部に漂着した。仲麻呂は奇跡的に生き抜いて、再び、長安にたどりつく。

 その後、仲麻呂は唐がベトナムを統治するために設置していた安南都護府の長官として今のハノイに派遣され、そこで6年を過ごしている。

 ベトナム人の間で、阿倍仲麻呂を知る人は一部の歴史学者を除いてはほとんどいない。
 しかし、ついに故郷に帰る夢を果たすことができなかった秀才の話は、ベトナム人の郷愁を呼ぶらしい。

 阿倍仲麻呂の歌を知らずとも、ベトナム人は彼の話に強い関心を持って聞いてくれることが多い。

 次に日越関係が再び不思議に交錯するのは、元寇の時代である。

 日本は、鎌倉幕府の北条時宗の時代に、文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)と2度にわたる元寇があった。
 いずれも、有名な“神風”により幸運にも元軍の侵略を退けた。

 実は、ベトナムも元寇を経験している。
 しかも、日本より1回多い3回だ。その3回(1257年、1284年、1287年)にわたって、侵攻する元軍をベトナムの英雄チャン・フン・ダオ(陳興道)が撃退した。

 3回目の戦いはバクザン河の戦いとしてベトナムでも名高い。
 この戦いにおける元軍の損傷が激しく、一説には、これによって元は日本への進攻を中止したとも言われている。

 そのため、
 「ベトナムは日本の間接的な恩人だ。
 チャン・フン・ダオがいなければ、今ごろ日本は中国の朝貢国だ。
 しかも、日本は天運(神風)だが、ベトナムは自力で中国を破ったのだから、俺たちの方が偉い」
と冗談めかして語るベトナムの知識人もいる。

 ちなみに、ベトナムには歴史上人々に尊敬される将軍が2人いる。

 1人はこのチャン・フン・ダオ。
 もう1人は、1954年、有名なディエンビエンフーの戦いでフランス軍を打ち破り、その後、北ベトナム軍の指導者としてアメリカ軍及び南ベトナム軍との戦いを指揮して「赤いナポレオン」と呼ばれたボー・グエン・ザップ将軍。

 余談だが、このザップ将軍は、たいへんな長寿を得られ、昨年(2013年)、102歳で天寿を全うされた。
 ザップ将軍の死によって、ベトナムの20世紀がついに終わったと言うベトナム人は多い。

他国と比べても優位なポジションにある日本

 阿倍仲麻呂や北条時宗に想いを馳せて、日本製品に憧れるなんてベトナム人はいない(もしいたら、ちょっと変人だが)。
 ただ、こうした話を少なくとも興味深く聞いてくれるほどに、ベトナム人は日本への親近感を持ってくれていると言える。

 弊社(DI)では、ベトナムで投資のみならず、戦略コンサルティングの仕事をしている関係上、数多くのベトナムの大手食品・消費財メーカーの経営者と日々議論する機会がある。

 彼らは、
 「消費者は日本のブランドを求めている。日本の戦略パートナー候補がいれば、いつでも喜んで話を聞きたい」
と口を揃えて言う。

 日本以外の外国勢を客観的に分析しても、日系メーカーにとっては、本質的なライバルは少ない。

 まず、欧米企業のベトナム投資は非常に少ない。
 ホーチミン在住のあるアメリカ人実業家の友人は、アメリカからの対越投資が少ないことを嘆き、ベトナムを「太陽の横で輝く金星」だと表現した。

 要するに、
中国という巨大な太陽がすぐ横にあるため、
ベトナムがどれだけ小さいながらに輝きを放っていても、
欧米企業にはベトナムの投資機会がそこまで魅力的には映らない
ということだ。

 この点では、既に隣国である中国でのビジネスを十分に経験し、その上でベトナムに展開してくる日本企業とは投資のステージが異なる。

 一方、アジアの国に目を向けると、
 中国からの投資は、入り込む余地がきわめて限定的だ。

 中国と地続きのベトナムの歴史は、一言でいえば、中国との戦いの歴史。
 日中関係とは全く異なるが、越中関係もきわめて緊迫している。
 食品など口にするものは、メイド・イン・チャイナと書いてあるとかなり忌避される。

 そのため、中国企業は、別国籍のダミー会社を間に挟んで、ベトナムへの投資機会を狙わざるを得ないほど、ハードルが高い。

 また、韓国は前回の記事で書いたとおり、相当に頑張っている。
 ただし、根本的な対韓国感情は、歴史的な背景もあり、必ずしも良くないという点で、日本よりやや不利だ。

 つまり、日本は、ライバルとなり得るどの海外勢と比べても、ベトナムにおいて優位な立ち位置にあると言える。

 ベトナムの内需市場は9000万人の人口を抱えるが、1人当たりの消費規模はまだまだ小さい。
 また、現地企業との生き残りを懸けた競争も厳しく、決して容易に勝ち残れる市場ではない。

 味の素もエースコックもいまの地位を築くまでに20年かかっている。
 最近進出した日系企業も、どうやって現地企業の牙城を崩していくか試行錯誤しながら戦っている状況で、弊社もよく戦略の相談を受ける。

 様々な困難さはあるが、世界的に見ても、これだけ日本からの投資の条件がそろっている国も珍しいのは事実。
 日系企業のベトナムへのさらなる積極的な投資に期待したい。

細野恭平 Kyohei Hosono  (株)ドリームインキュベータ(DI)執行役員、DIベトナム社長
 東京大学文学部卒業(スラブ語)、ミシガン大学公共政策大学院修士
1996年、海外経済協力基金(後に国際協力銀行)に入社。
旧ソ連(ウズベキスタン、カザフスタン等)向けの円借款事業や、途上国の債務リストラクチャリング、ODA改革等に従事する。途中、ロシア・サンクトペテルブルクにてロシア語を習得。
2005年、DIに参画し、大企業向けのコンサルティングやベンチャー企業向けの投資に従事。
2010年から、ベトナムに駐在。DIアジア産業ファンド(50億円)を通じたベトナム企業向けの投資、ベトナムに進出する日本企業・ベトナム政府/企業向けのコンサルティングなどを手掛ける。400社以上のベトナム現地企業と接点があり、ベトナムの幅広いセクターに精通している。



JB Press 2014.01.16(木)  細野 恭平
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39667

ベトナムで強烈なプレゼンスを発揮する韓国

 現在のベトナムに対する投資は、日本・韓国の2強によるマッチレースである。
 より正確には、韓国勢がずっとアグレッシブに投資を続けてきたなか、ここ最近、日本勢が少しずつ盛り返し始めていると言った方が正確だろう。

 実は、ベトナム人の対韓感情というのは、あまり良いとは言えない。
 それにもかかわらず、拡大する韓国のベトナム投資の状況を概観してみたい。

■2013年のベトナムへの投資額は、韓国が実質1位、日本が2位

 2013年、日本からベトナムへの投資額は全体の1位。
 出光興産のギソン製油所(28億米ドル)など超大型案件があった。

 一方、韓国は、統計上は3位だが、実質的には1位だ。
 サムスン電子による投資額20億米ドルの携帯電話の新工場案件が、同社のシンガポール法人経由のため、統計上はシンガポールにカウントされているからだ。

 これ以外にも、サムスン電子の携帯電話工場(10億米ドル)、サムスン電機の携帯電話のIC・電子部品の製造工場(12億米ドル)、LG電子の生産拠点への投資(15億米ドル)などの大型投資があった。

 ベトナムにおける韓国のプレゼンスには目を見張るものがある。

 エレクトロニクスでは、サムスン・LGの前に日本勢がかなり劣勢を強いられている。
 特に、サムスン電子はベトナムをスマートフォン生産の一大生産拠点として位置づけ、近年、工場への投資を拡大している。

 同工場の2013年の輸出総額は約2兆5000億円、ベトナム全体の輸出に占める比率の15%以上を1社で担う(参照:「トヨタがベトナムから撤退する日」)。
 工場労働者のために、半径100キロ以内に毎日500台のバスを運行させていると聞く。

 日本人にはあまり知られていないが、ベトナムに進出した韓国企業の中で、最も従業員が多いのは泰光実業。
 「ナイキ」の下請けでスポーツシューズを生産しており、現在約4万人を雇用していると言われる。

 Kポップをはじめとする韓流文化の輸出戦略は、特に20代前半以下のベトナムの若者に浸透している。
 ベトナム人の若者に知っている韓国人女優を聞くと、次々に名前が挙がる。

 一方、日本人の女優を聞くと、残念ながら、いまだに「おしん」だ(おしんを女優というかはともかく)。

 Kポップの輸出の影響を受けて、韓国メーカーの化粧品も非常に人気があるように見える。
 日本の資生堂・コーセーなどのブランドは高級感を打ち出しているが、少し年齢層が高い印象を与えているのか、若者世代への浸透は芳しくない。

 韓国人は人口も多い。
 日本人はベトナム全体で8000人前後と言われているが、韓国人はその10倍はいると言われている。

 韓国のデベロッパーも活躍している。
 ホーチミン市で最も高い「ビテクスコ・フィナンシャル・タワー」は現代建設、ハノイで最も高い「ランドマーク72」は、京南企業による開発・建設だ。

 残念ながら、日本政府のODA案件しか受注できない日系のゼネコンとの差は歴然としている。

■韓・越の歴史的な関係

 しかしながら、実はベトナム人の対韓国感情というのは、少し複雑だ。

 この両国は、地理的にも歴史的にも共通項が多いため、仲が良さそうに見えるが、事情はそれほど簡単ではない。

 両国とも中国に隣接する小国である。
 そして、隣接するがゆえに、両国の歴史は、たぶんに中国の影響を受けている。

 例えば、中国の唐王朝が、朝鮮半島の平壌に安東都護府を置いたのと(668年)、ベトナムのハノイ近郊に安南都護府を置いたタイミング(679年)はほぼ同じである(この安南都護府の長官に、後に「天の原ふりさけ見れば」の歌で有名な阿倍仲麻呂が就任したが、その話は別稿に譲る)。

 その後、この両国は、時期は異なるが、中国式の姓名を組み入れたり、科挙の制度を導入したり、中国化することで王朝の安定を保った点で共通している。
 平易な言い方をすれば、中国と戦いつつ、同時に同化することで国を保ってきた歴史がある。

 一方、海を一つ隔てることで中国の直接的な軍事的脅威が少なかった日本は、日本人の体質・文化・制度に合うものだけを選択的に中国から輸入することができた。
 例えば、律令は導入しても、科挙は導入しないというように。

 この点、日本は地政学的には、韓越両国より恵まれていたと言える。

 こうした韓・越の地理的・歴史的な共通点を見ると、両国民の間には深い同情心のようなものがあるのかと勝手に想像しがちだ。
 しかし、実は近年まで、お互いに中国大陸を挟んだ反対側にある国を意識したことは、少なくとも民衆レベルではほとんどなかった。

 ベトナムと朝鮮半島の民衆レベルでの接点は、ベトナム戦争時代という近代を待たねばねらない。

 1965年、韓国政府が南ベトナム軍を支援すべく精鋭部隊をベトナムに派遣した。
 この時点では、少なくとも民衆レベルでは「韓国」という国を殆ど誰も認識していなかったようだ。

 ベトナム南部では、かつて韓国人のことをダイハンと言った(今でも、ダイハンと言えば韓国のことだと多くの人は理解する)。
 ダイハンというのは、大韓民国の韓国語読みである。

 大韓民国という表現には、大日本帝国とか大英帝国とかと同様、自国への尊称の意味が込められている。
 韓国軍の兵士が自らを「ダイハン」と胸を張ってベトナム人に主張した言葉が、そのままベトナム人の間に定着したようだ。

 ベトナム戦争を知る世代にとって、「ダイハン」という言葉に、残念ながら、あまり良い響きはないようだ。

 南ベトナムの人々にとって、北ベトナム軍は敵といえども同胞であり、同胞との戦いに送り込まれた韓国兵士を好ましく思わないという心理に至ったのは、いたしかたがない。

 そういう意味では、韓国にとっては、ベトナムとの民衆レベルでの初めての接点がベトナム戦争という政治的な場であったことは、不幸なことだと言える。

■マイナスイメージを跳ね返す韓国

 韓国は、こうした様々な歴史上の不利にもかかわらず、ベトナムへの積極投資を継続している。
 様々なところで取り上げられている韓流文化の輸出戦略は、若年層を中心に全く新しい対韓感情を形成しようとしているように見える。

 韓国がベトナムに対して積極投資を続けるのは、他の東南アジア諸国では、古くから進出している日本勢の牙城を崩すのが難しいという事情もある。

 ただし、それ以上に、生産拠点としての賃金の安さや若年労働人口の多さというベトナムの魅力を理解し、果敢にリスクを取っている印象だ。たくましい、と思う。

 一方、日本も、ここ数年ベトナムへの投資が加速しつつある。

 実は、日本は韓国とは異なり、ベトナムとの歴史的なつながりには赤い糸を感じさせるような興味深い話が多い。
 現代の日本人に対するベトナム人の心象も非常に良い。
 つまり、国全体として見れば、日本の方が韓国よりも投資のための条件は整っていると感じられる。 



レコードチャイナ 配信日時:2014年2月10日 19時45分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=82967&type=0

中越関係に突然のきな臭さ、関係悪化を招いた3つの伏線と2つの地雷


●中越関係がきな臭くなっています。日本メディアで報じられましたが、年明けから中国によるベトナム漁船の「破壊」があったようです。写真はベトナム・ハノイ。

 中越関係がきな臭くなっています。
 日本メディアで報じられましたが、
 年明けから中国によるベトナム漁船の「破壊」があった
ようです。
 同時に、
 南シナ海領海における警察権を強化したとする中国海南省の条例
が注目され、周辺国の激しい反発を呼んでいます。

 この「破壊」や条例については他の方にお任せするとして、本稿ではベトナムの視点から、「きな臭さ」が増す経緯を追って見ることにします。
 私の見るところ、この「きな臭さ」には「3つの伏線」がありました。
 さらに今後、情勢を悪化させかねない「2つの地雷」が待っています。

■伏線1:安倍首相靖国参拝を巡って

 両国関係で一つ伏線として考えられるのは、年末にあった安倍首相の靖国神社参拝への対応です。
 中韓を筆頭に反対の声が大きかった中、ベトナムは基本的に「超様子見」でした。

 そんな態度を見かねてか、12月30日に中国の王毅(ワン・イー)外相がロシア、ドイツ、ベトナムの3カ国外相と電話会談をしています。
 いずれも「日本の問題」、つまり靖国参拝問題について意見を交換しています。
 中国外務省ウェブサイトによると、
☆.ロシア外相は「中国と意見が一致」、
☆.ドイツ外相とは「意見交換をした」
 (直接の日本批判はなかったということ。
 恐らくドイツの本音は「もうEUとして立場は表明したからいいでしょ、じゃないかと)。
 そして気になるベトナム外相も「日本問題を含む地域の問題について意見交換した」とだけ。
 つまり日本批判を控える様子見に徹したわけです。

 頑なに「様子見」を続けるベトナムでしたが、中国の熱意におされてか、翌31日にベトナム外務省が安倍首相靖国参拝に関する声明を発表。
 しかしその簡潔、差し障りの無い、そっけない声明を見るに「様子見」を貫き通したとも言えるかもしれません。
 中国にとってはベトナムのノリの悪さはあまり歓迎できる話ではありません。

■伏線2:ベトナムがロシアから調達した潜水艦がついに到着

 中越はともに旧正月が本番のお正月。
 新暦では元旦だけがお休みです。
 その1月1日にベトナムで流れたニュースは、ベトナムがロシアから調達したキロ型潜水艦、「ハノイ」号がサンクトペテルブルクから2万7000kmの航路を経て、12月31日、カムラン港に到着したというものでした。
 同艦は昨年5月、ベトナムのズン首相が訪露時に契約したものですが、海軍力向上は中国との領土問題を念頭に置いた動きと言えます。

 今回来たのは1隻目ですが、お買い上げは全部で6隻。
 総計20億ドルの高い買い物ですが、ネットで見る限り国民の反応はおおむねポジティブです。
 2隻目がロシアのサンクトペテルブルクで引き渡しされたというニュースには、
 「オレが給与1カ月分寄付するから、もっと買え!」
という根拠ないけど威勢の良いコメントが人気を集め、
 「みんながみんな、君のような愛国者ならあと35隻買える」
という、大雑把な試算コメントまで付いています。

 ともあれロシアからベトナムへという軍備の流れは、ベトナム戦争終盤から戦後にかけてのベトナムとソ連の蜜月時代、団結しての中国への対抗を想起させるものでもあり、中国側からすると気に入らないニュースとはなったでしょう。

■年始の伏線その3:「衝突映像」の公開

 年明けにあったもう一つの伏線は、CCTVによる中越船舶衝突映像の公開です。
 2007年6月、南シナ海での中国国家海洋局指揮下の巡視船とベトナム「武装船」が衝突した映像が、CCTVの番組「走遍中国」で公開されました。

 中国のSNSでは予想通りベトナム批判のレスが多数。
 一方、引用したBBC Vietnameseのフェイスブックにも、ベトナム・ネット民からのコメントが多数寄せられ、中越両国のネット民がお互いに怒りを高める展開に。
 それにしても6年以上前の事件映像をなぜこのタイミングで公開したのか。
 憶測を呼んでいます。

 これだけのネタだけに、ネット民の反発にとどまらず、ベトナムメディアも絶対に取り上げるはずと思っていたのですが、反応したのはThanhNien、DoiSongPhapLuatという、ややヤンチャなメディアだけ。
 しかもネットニュースだけの扱いで紙面では報じられていません。

 TuoiTreをはじめ商業系メディアが絶対食いつくネタだと思いましたが、非常にローキーで抑えられました。
 これは明らかにベトナム政府の思惑があったでしょう。
 領土問題は国民の絶対的な支持は得られる反面、ベトナムでは非常に珍しい市内でのデモなどにも発展することがあり、政府も基本的には自由にしつつも、過激になり過ぎないよう抑える時はあります。

 衝突映像という前振り、さらには報道禁止という鬱憤もあったためでしょうか、海南省の条例にベトナムメディアは一気に反応します。
 10日、ベトナム外務省は海南省の条例に関して
 「ベトナムの領海に触れたもので、全くの無効。撤回するべき」
とはっきりした声明を発表しました。
 この声明が、海南省の条例を切り口にすれば南シナ海問題を報じてもOKというお墨付きになり、ベトナムのネットニュースサイトは一気に過熱しました。
 紙メディアの国際面でも取り上げられています。

■西沙諸島海戦40周年と中越戦争勃発35周年という2つの地雷

 年明けからきな臭いニュースの続く南シナ海と中越関係。
 上述3つの伏線が海南省の条例に結びつき、緊張を高める下地となったのではないでしょうか。

 ですがこれだけでは終わらない可能性があります。
 というのも、2014年のベトナムには対中感情がさらに悪化しかねない2つの地雷があるからです。

 第一の地雷は西沙諸島海戦40周年。
 1974年1月15日に勃発した同海戦で、中国が西沙諸島(パラセル諸島、ベトナム語ではHoang Sa)を支配下に置きました。
 当時はまだベトナム戦争中だったのですが、西沙諸島を支配していたのは敵にあたる「ベトナム共和国(南ベトナム)」ということで、中国もケンカを仕掛けられたという次第。
 戦後、統一ベトナムは抗議をするも、今に至るまで西沙諸島は中国の支配下にあります。

 ベトナムでは毎年のように西沙諸島、南沙諸島に関するイベントが開かれています。
 「領土を守れ!」というスローガンは毎日のようにメディアで聞かれるほど。
 特に中国に実効支配を許している西沙諸島に対する思いは強いのです。

 さらに2月17日には第二の地雷、中越戦争開戦35周年という記念日も待っています。
 こちらの記念日も対中感情を悪化させる契機になりかねません。

 ベトナム政府、そして中国政府はこの2つの地雷をどう処理するのか。
 対応を間違えれば、中越関係が一気に悪化することも考えられるだけに、慎重な対応が求められることになります。
 多難な船出となった2014年の中越関係、今後どう推移していくのでしょうか?

◆筆者プロフィール:いまじゅん
ハノイ在住のベトナムウォッチャー。ブログ「ハノイで考えたこと」作者。中国在住も長かったので、ベトナムから見た中国、中国とベトナム比較といった視点にも注目。個人的には湘南ベルマーレの熱烈サポーターということから、サブトピックとしてはアジア・ベトナムサッカーにも関心大。




【劣化する人心と国土】


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