2014年2月17日月曜日

「100年の衰退」の教訓:アルゼンチンの寓話:中国はその轍を踏むのか?

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2014.02.17(月)  The Economist
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39952

「100年の衰退」の教訓:アルゼンチンの寓話
(英エコノミスト誌 2014年2月15日号)

 1つの国の100年にわたる衰退は、各国政府に多くの教訓を示している。

 1世紀前、国外初の出店を決めた英国の百貨店ハロッズは、その場所にアルゼンチンのブエノスアイレスを選んだ。
 1914年には、アルゼンチンは未来のある国として頭角を現していた。
 アルゼンチン経済はそれまで40年にわたり、米国を上回るペースで成長していた。
 国民1人当たりの国内総生産(GDP)は、ドイツやフランス、イタリアを上回っていた。

 アルゼンチンには、素晴らしく肥沃な農地、太陽の降り注ぐ気候、新たな民主主義(1912年に男性の普通選挙権が導入された)、教育を受けた国民、世界で最もエロチックなダンスがあった。
 移民が世界中からタンゴを踊るように流れ込んできた。
 野心を抱く若者にとって、アルゼンチンかカリフォルニアかを選ぶのは難しい決断だった。

 アルゼンチンには今もまだ、パタゴニアの壮大な自然から世界最高のサッカー選手、リオネル・メッシまで、愛すべき宝がたくさんある。
 恐らくアルゼンチン人は、今でも世界で最も見栄えのよい良い国民だろう。

 だが、その国はぼろぼろだ。
 ブエノスアイレスのハロッズは1998年に閉店した。
 アルゼンチンはまたしても、新興国危機の中心にいる。

 今回の危機の責任はクリスティナ・フェルナンデス大統領の無能さにあるかもしれないが、フェルナンデス大統領は単に、フアン・ペロンと妻のエバ(エビータ)・ペロン、さらにはそれ以前にまでさかのぼる経済音痴のポピュリスト政治家の系譜の最後尾に連なる1人に過ぎない。
 ドイツとの競争はもはや過去のことだ。

 アルゼンチン人がかつて見下していたチリ人とウルグアイ人の方が、いまや豊かになっている。
 その二国――そしてブラジルとメキシコも――の子供たちは、国際学力テストでアルゼンチンの子供たちよりも良い成績を収める。

 なぜ、たった一国の悲劇にこだわるのか?
 自国に起こり得る最悪の事態は何かと考えた時、まず人々の頭に浮かぶのは全体主義だ。
 だが、共産主義の凋落を考えれば、その可能性はもはやなさそうだ。
 インドネシアで不満が爆発したとしても、インドネシア国民が北朝鮮を手本にするとは考えがたい。
 スペインやギリシャの政府が、ユーロを巡る苦難の解決策としてレーニンを引用することはない。

 真の危険は、気づかぬうちに21世紀のアルゼンチンになってしまうことだ。
 無頓着に着実な衰退の道へと陥ってしまうのは、難しいことではない。
 過激主義は、そのために絶対不可欠な要素ではない。
 少なくとも大きな要素ではない。
 カギを握るのは、
★.制度的な弱さ、
★.国内の保護を優先する政治家、
★.少ない資産への漫然とした依存、
★.そして現実と向き合うのを頑なに拒む姿勢
だ。

■嵐のような日々でも、逆境のなかでも

 どんな国でもそうだが、アルゼンチンの物語はアルゼンチン特有のものだ。
 アルゼンチンは運が悪かった。
 輸出を燃料とする経済は、両大戦間の時期の保護貿易主義に叩きのめされた。
 貿易相手として英国を頼り過ぎていた。
 ペロン夫妻は、まれに見る魅惑的なポピュリストだった。

 1990年代には、ほとんどの南米諸国と同じく、アルゼンチンも市場解放と民営化を支持するワシントン・コンセンサスを受け入れ、通貨ペソのドルペッグ制を採用した。
 だが、2001年に訪れた経済危機は、極めて厳しいものだった。
 そのせいでアルゼンチン国民は、リベラルな改革に対して恒久的な疑いを抱くようになった。

 だが、運の悪さだけに責任があるのではない。
 経済でも、政治でも、改革に対する抵抗についても、アルゼンチンの衰退は、概ね自らが招いたものだ。

 1914年にはアルゼンチンの大きな強みだったコモディティー(商品)は呪いと化した。
 1世紀前、アルゼンチンは真っ先に新技術を導入した――輸出肉の冷凍は当時のキラーアプリだった――が、アルゼンチン料理の価値を高める努力はしなかった(現在でさえ、アルゼンチンの料理は、基本的には世界最高の肉を焼くだけだ)。

 ペロン夫妻は、自国の非効率的な産業を守る閉鎖経済を構築した。
 一方、チリの軍事政権は1970年代に経済を開放し、アルゼンチンの先を行った。
  アルゼンチンの保護貿易主義は地域貿易協定の南米南部共同市場(メルコスール)を弱体化させた。
 フェルナンデス政権は、輸入品に関税を課すだけでなく、農産物輸出にも税金をかけている。

 アルゼンチンは、若い民主主義を軍から守るのに必要な制度機構を構築しなかったために、クーデターの起きやすい国になった。
 やはりコモディティーが豊富なオーストラリアとは違い、アルゼンチンでは、富を築いて分配する決意を持つ強力な政党が育たなかった。
 アルゼンチンの政治はペロン夫妻にとらわれ、政治家の人格と影響力ばかりに目が向けられた。

 最高裁判所はたびたび圧力をかけられている。
 政治的干渉のせいで、アルゼンチンの統計機関の信用は地に堕ちている。
 汚職も蔓延している。トランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識指数で、アルゼンチンは106位という不面目な順位に甘んじている。

 制度機構の構築は時間のかかる退屈な仕事だ。
 アルゼンチンの指導者たちは、例えば学校制度の全面的な改革などに頼るよりも、カリスマ的リーダー、魔法のような関税、通貨のペッグ制など、手っとり早い解決策を好む。

■約束された解決策ではない

 アルゼンチンの衰退は誘惑的なほどに緩慢だった。
 1970年代などのひどい時期はあったものの、毛沢東やスターリンのような決定的な打撃は経験していない。
 衰退していく間ずっと、ブエノスアイレスのカフェでは、エスプレッソとメディアルナが変わらず供されていた。
 それがかえって、アルゼンチンの病をとりわけ危険なものにしている。

 先進国も、こうした弱点を免れてはいない。
 カリフォルニア州は、今は安定した時期にあるが、住民投票を使った手っとり早い解決策に頼る癖が治ったかどうかは判然とせず、州政府はいまだ民間セクターの足を引っ張っている。
 南欧諸国では、政府も企業もアルゼンチンと同じ尊大な態度で、現実から目をそむけている。

 イタリアは、格付け機関は危うい財政状況だけを注視するのでなく、「文化的な富」も考慮すべきだと苛立ちながら要求しているが、これはまるでフェルナンデス大統領の言葉のようだ。
 欧州連合(EU)は、スペインやギリシャに保護を与え、経済的に自立しないようにしている。
 だが、ユーロ圏が崩壊したらどうなるのか?

 だが、さらに大きな危険は、新興国に潜んでいる。
 新興国では、繁栄へ向かう途切れない歩みが、止めようのないものだと見なされ始めている。
 あまりにも多くの国が、コモディティーの輸出に躍起になりながら、国内の制度機構をなおざりにしている。
 中国での原材料の需要が落ち込んでいる今、新興諸国は、アルゼンチンと全く同じ弱点をあらわにするかもしれない。

■大切なのは優れた政府

 多くの新興国では、ポピュリズムが幅を利かせ、憲法が乱用されている。
 ロシアは、石油と天然ガスに頼り過ぎ、泥棒政治家に支配され、危険なほど自己愛が強く、多くの点でアルゼンチンと共通している。
 だが、ブラジルでさえ経済ナショナリズムをもてあそんできた。
 そしてトルコでは、独裁的なレジェップ・タイイップ・エルドアン首相が、イスラムとエビータを融合させようとしている。

 中国とインドを含め、あまりにも多くのアジアの新興国で、縁故資本主義がいまだ本流にとどまっている。
 格差が煽る国民の怒りは、かつてペロン夫妻を生んだ怒りと同じものだ。

 アルゼンチンの寓話の教訓は、
 「大切なのは優れた政府である
というものだ
 恐らく、その教訓はもう学ばれているだろう。
 だが、100年後の世界が、もう1つのアルゼンチンを――過去から抜け出せなった未来の国を――回顧している可能性は大いにある。

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英エコノミスト誌の記事は、JBプレスがライセンス契約 に基づき翻訳したものです。
英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。
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