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JB Press 2014.02.12(水)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39904
二極化する中国の国民世論どちらにも通底する政権への不満
●中国の右派・リベラル派の代表的な人物(筆者作成、以下同)
その後の安倍政権の政策の取り方を見ると、そうした警鐘はまったく的外れのものではなかったと言える。
無論、日本国内の世論を見れば右寄り一辺倒になっているわけではなく、日本社会はバランスが取れているように思われる。
タイでは政情不安が収まらない。
タクシン派のインラック政権は農民を優遇する政策を取ってきたが、バンコクなどの都市部住民の反発を招き、政府機能が一部失われた。
選挙を実施しても、反対派の阻止により一部の投票場は閉鎖を余儀なくされた。
タイ社会の二極化は一目瞭然である。
一方、中国社会は、共産党一党独裁政治の下でマスコミなどの論調、とりわけ新聞やテレビなどのメディアの論調が厳しく統制されているため、二極化する動きが顕著に現れていない。
何よりも、公の場で政府を批判する言動は政府転覆罪に問われる恐れがあるからである。
しかし、インターネットの掲示板などを見ると、政府を明確に批判する書き込みが多い。
政府による統制が強化されているが、ネット人口が5億人を超えているため、政府の統制は十分に行きわたっていない。
そのなかで、改革を求めるリベラルな書き込みと、現在の改革を明確に批判し毛沢東時代を称賛する書き込みも散見される。
これは「水面下」で中国社会の二極化が進んでいる証拠である。
■民主主義の政治体制を求めるリベラル派
現在の40代以上の中国人は、全員が毛沢東時代に洗脳を受けていた。
同時に、反右派闘争や文化大革命などの政治運動の参加者が多く、そのなかで迫害を受けた者も少なくない。
40代以上の中国人はほぼ全員が直接的または間接的に毛沢東政治の被害者だったと言える。
毛沢東政治を批判する急先鋒となっているのは、茅于軾氏などのリベラル派知識人である。
リベラル派知識人の多くは「改革開放」政策そのものに否定的ではなく、共産党指導部にもっと大胆な改革を求めている。
具体的には、
共産党幹部の腐敗を撲滅するために、民主主義の政治改革が必要であると主張している。
そして、
国民の人権を守るために、司法の独立性を担保する必要があると唱える。
さらに、
マスコミなどの監督機能を強化するために、政府によるマスコミの統制を遮断する「新聞法」の制定も叫ばれている。
リベラル派知識人はこれまでの改革の成果、すなわち経済発展に伴う国民の生活レベルの改善を認める一方で、政治や司法制度の改革が不十分であると訴えている。
リベラル派が掲げる改革の最終目標は、民主主義の政治体制を構築することである。
このことについて、共産党指導部は民主主義の価値観を否定しないが、西側諸国の民主主義選挙制度の導入を繰り返し否定している。
2010年横浜で開かれたアジア太平洋経済協力サミット(APEC)に参加した胡錦濤前国家主席は、会議の合間に横浜中華街小学校を視察した。
そのとき1年生の教室に入り、最前列の女子生徒と中国語で会話を交わした。
その際、1人の女子生徒が「胡主席、あなたはどうして国家主席になろうと思ったのですか」と尋ねた。
それに対して、胡錦濤主席は
「いや、わたしは国家主席になろうと思わなかった。全国人民に選ばれたから国家主席になったんだよ」
と答えた。
民主主義を中国共産党も受け入れているという証拠である。
ただし、リベラル派知識人の主張が、そのまま中国で支持されているわけではない。
リベラル派の主張に異議を唱える左派の保守的な知識人も散見される。
何よりも中国政府共産党はリベラル派知識人の主張に警戒を強めている。
リベラル派知識人の主張通りに改革を進めれば、共産党の統治体制が脅かされる恐れがあるからである。
毛沢東時代、右派闘争や文革などの政治運動のなかで約2000万人以上の中国人が病気以外の原因により死亡したと言われている。
特に1970年代に入り中国社会は極端な物不足に陥り、配給制の導入を余儀なくされた。
それにもかかわらず、当時の苦しみを経験した一部の者は毛沢東時代を懐かしく思い、現在の「改革開放」政策を痛烈に批判している。
文革に対する評価の対立こそが、中国国内の歴史認識問題である。
35年前に、最高実力者だった鄧小平は「改革開放」政策を推し進める際、共産党の文章で文革を総括した。
そのなかで、文革を引き起こしたのは毛沢東元国家主席にも責任があるとする一方で、幹部や知識人を迫害した責任は「四人組」(江青、張春橋、姚文元、王洪文の4人)にあるとした。
しかし、幹部や知識人が紅衛兵などの「造反」組から迫害を受けて死亡した責任をすべて「四人組」に帰することには無理がある。
かといって、それを毛沢東元国家主席の責任として問えば、共産党指導体制そのものが崩れてしまう恐れがある。
結局、文革を引き起こした責任が曖昧なまま、「改革開放」政策が推し進められたのである。
おそらく「改革開放」政策が順調に進んでいれば、毛沢東思想の復活問題は浮上しなかったのだろう。
「改革開放」政策は奇跡的な経済発展を成し遂げたが、所得格差が拡大するなどの副産物ももたらされた。
左派知識人が一斉に「改革開放」を批判し、毛沢東思想の復活を唱えたのは、所得格差の拡大に対する不満が中国社会で募っているからである。
確かに、毛沢東時代の中国社会では所得格差は大きくなかった。
また、幹部の腐敗も社会問題になるほど深刻化していなかった。
しかし、あの時代は恐怖の時代だった。
毛沢東を批判しなくても、毛沢東思想に少々異議を唱えるだけで処刑される恐れがあった。
現に多くの知識人や幹部は毛沢東を批判しなくても、反政府反共産党の言動があるとして迫害を受けた。
では、なぜ左派保守派知識人はあの非人道的かつ暗黒な毛沢東時代を称賛するのだろうか。
それは、
現在の中国社会の歪みに対する不満から来ていることに加え、
現在の権力構造における自らの立ち位置から希望が持てないことも一因である。
●中国の左派・保守派の代表的な人物
だが問題は、現実的に考えて毛沢東時代に逆戻りできないということである。
あの暗黒な毛沢東時代に逆戻りしようとする考えは国民の支持を得られない。
毛沢東思想のプロパガンダはきわめて非現実的なものである。
ロシアにはいまだにスターリン主義の信奉者がいるのと同じである。
中国では、左派と右派の対立が先鋭化しているが、それはほとんど心の問題に近いものであり、解を見出すことができない。
左派は毛沢東時代の平等を称賛するが、それは国民全員が貧しいという平等である。
そして、毛沢東時代に共産党幹部の腐敗は少なかったが、基本的な人権が尊重されていなかった。
毛沢東時代の中国社会は決して理想な社会ではなかった。
それに対して、リベラル右派の主張も十分に論破されていない。
経済の自由化によってGDPこそ拡大したが、共産党の特権が拡大し、所得格差も拡大した。
一部の右派知識人は国有企業の完全民営化を提唱しているが、それはロシアや東欧の轍を踏むことになると思われる。
また、確かに民主主義の政治改革は重要だが、中国の社会構造と国民の教育レベル、モラルに照らし合わせれば、民主主義の導入は悲劇を生む可能性がある。
現在の中国社会に不満を募らせていることについては、右派と左派は共通している。
しかし、
中国社会を専制政治から民主主義の社会へ安定的に移行させていくロードマップが十分に提示されていない。
結局のところ、習近平政権は国民の不満の声を慎重に抑え込みながらも、時間が経つにつれて右派からも左派からも見放される可能性が高い。
これは中国社会における政情不安の最大の原因である。
柯 隆 Ka Ryu
富士通総研 経済研究所主席研究員。中国南京市生まれ。1986年南京金陵科技大学卒業。92年愛知大学法経学部卒業、94年名古屋大学大学院経済学研究科修士課程修了。長銀総合研究所を経て富士通総研経済研究所の主任研究員に。主な著書に『中国の不良債権問題』など。
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