●PCGの監視船「コレヒドール号」 (写真:PCG提供)
『
JB Press 2014.02.21(金)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40000
「弱者」の戦い方で中国に立ち向かうフィリピン
マニラで痛感、日本を守るのは自らの力と同盟
フィリピンのマニラに来ている(2月14日記)。ベトナムに続いて、やはり南国はよいところだ。
大雪の後の東京を後にして、ニノイ・アキノ国際空港に着くと、暖かな空気が身のまわりをふわりと包む。
乾季のマニラは、本当にすごしやすい。
さて、今回は、南シナ海でそれほど強い海軍力や海上保安庁を有しないフィリピンが、どのようにして中国の海洋進出に対峙しようとしているのだろうかという疑問を抱きながらの旅である。
「フィリピンは、きっと困っているのだろう」、そう勝手に思いながら、フィリピンの知識人たちと会話を始めた。
なにしろフィリピンでは、2012年4月すぎには、南シナ海にあるスカボロー礁の実質的な支配を中国に突如奪われ、今や、フィリピン人がアユンギン礁と呼ぶセコンド・トーマス礁すら中国の法執行船舶の定期的な監視を受けるようになっているからだ。
■海上での衝突を徹底回避
そして、わずか1日で筆者が間違っていたことを知ることになった。
認識の間違いは、すぐに改めればよい。
古い知識は、新しい事態の出現ですぐに塗り替えられる。
実は、フィリピンは困ってなどいなかったのである。
なぜなら、フィリピンは、フィリピンなりの「弱者の戦い」とでも呼べる戦術をしたたかに取っているからだ。
すなわち、フィリピンは、自らが不得手な分野での戦いはもうしないという判断をしたのである。
それは、海上における力による衝突を回避するということである。
すなわち、2012年、スカボロー礁において、中国漁船を取り締まるためにフィリピン海軍船を派遣したことが、結果として中国側によるエスカレーションを招いたことをフィリピン政府は、よく理解している。
その後、フィリピンは、自らの海軍艦艇を現場近くに近寄らせないこととしたのである。
さらに2013年5月には、不法操業を行っていた台湾の漁船に対して、「フィリピン・コースト・ガード」(PCG)が警告射撃を行った結果、死傷者が出るという不幸な事件が発生した。
中国側はこの時期に前後して、フィリピンが実効支配しているアユンギン礁まで法執行船を派遣したのである。
この事態を受けて、今や、フィリピン大統領府からの指示に基づいて、PCGすら現場にあえて監視船を派遣しないという方針を守ることとなっている。
もっとも、もともとアユンギン礁の真ん中には、フィリピンが1999年に座礁させた海軍の古い軍艦がある。
フィリピンは現在に至るまで、その軍艦の中に要員を常駐させ、中国のこれ以上の介入を招かないようにしていることも指摘せねばならない。
ただし、これらの海軍要員に対する補給のために、本来なら海軍が補給するのが筋であるが、実際には、PCGが補給活動を引き受けているという。
それも、PCGの監視船を派遣するのではなく、日本で言えば海上保安庁の傘下にある「水難救済会」のごとき民間団体に業務を委託しているという。
要するに、海軍もPCGもそのプレゼンスを中国側にあえて徹底して見せないという判断がある。
もちろん、フィリピン海軍とPCGの力が、そもそも十分ではないという現実がそこにある。
中国は、これまで中国漁船がフィリピン海軍との間であれ、PCGとの間であれ、衝突が発生するのを待って、事態をさらにエスカレートさせるという戦術を巧妙に取ってきたのである。
当然ながら、衝突が発生する原因となる、フィリピンの海軍やPCGの存在を現場から消してしまえば、中国側はそれ以上のエスカレーションは起こせなくなる。
フィリピンは、この2年ほどの中国との対峙の経緯を踏まえて、あたかも何もせずに、これ以上の事態の悪化を防ぐという、最も効率的な持久戦の方法を見出したかのようだ。
もっとも、スカボロー礁は、今では中国の海警の監視船2~3隻が常駐し、多くのフィリピン漁船すら、近寄れない状態になっているという。
ちなみに、フィリピンが「西フィリピン海」と呼ぶ、南シナ海のスカボロー礁の周りでは、「ラプラプ」というハタ科の高級魚が、もともとよく取れる。
これは、16世紀にマゼランがフィリピン諸島に進出した際に、マゼランの兵隊を打ち負かした、フィリピンの国民的英雄である「ラプラプ」にちなんだ魚である。
しかし、もはやスカボロー礁のラプラプは食べられないのだ。
■意気軒昂なPCGと日本の支援
一方で、PCGのトップのアイソレーナ司令官は、実に意気軒昂だった。
なにしろ、フィリピン海軍すら、PCGに対する各国の矢継ぎ早の支援表明に、ややジェラシーを感じている程である。
実際、日本も、アメリカも、そしてフランスまでも、次々とPCGへの支援を表明してくれているからだ。
日本政府はすでに10隻の監視艇をPCGに提供する約束をした。
アメリカも日本の力強い支援に続けといわんばかりに、12月に訪比したケリー国務長官が今後3年間で4000万ドルの海事能力強化支援を約束し、沿岸監視レーダーシステム設置や、PCGの教育・訓練支援に乗り出そうとしている。
また、筆者の滞在中には、ちょうど米海軍のトップのグリナート作戦部長がフィリピン海軍を訪問しているところであった。
実は、PCGは、日本の海上保安庁が手塩にかけて育てた組織と言ってもよい。
なにしろ、海上保安庁の現役や引退した日本人専門家がJICA(国際協力機構)の一員として、PCG創設の1998年以降、長年にわたってマニラのPCGの本部内の執務室で、フィリピン人船乗りのありとあらゆる相談に乗っているのである。
我が国の海上保安庁は、マレーシア、インドネシア、フィリピンの東南アジアの3カ国に専門家をJICAを通じて派遣してきているが、
PCGへの貢献はその中でも最大の成果の1つである。
実は、2012年にスカボロー礁で中国の法執行船との間で問題が起きた際にも、日本が1999年に供与した「設標船」(注:海上へのブイや標識などを設置するための特殊な船)が、PCGの代表的な監視船「コレヒドール号」として、現場に派遣されてきているのだ。
PCGが現在所有しているのは、オーストラリアから譲り受けた、故障が多い小型船舶8隻に「コレヒドール号」1隻を加えた、わずか9隻だけである。
それも、コレヒドール号が八面六臂の活躍だという。
マニラ湾の入り口にある、日米が戦ったコレヒドール島と同じ名前を付けられた日本の小型船舶が、南シナ海でも活躍しているのは感慨深いものがある。
フィリピンと日本は、海を通じて間違いなく繋がっている。
フィリピン人船乗りの我が国の外航商船隊における割合は74%であるという。
また、フィリピンには、日本の船舶業界の出資で設立した商船大学が2つもある。
その多くの卒業生が、日本の海洋国家の基礎を支えているのだ。
■アキノ大統領とフィリピンのナショナリズム
それにしても、フィリピンのアキノ大統領の中国に対する姿勢は、このところ、一本調子である。
この2月4日付のニューヨーク・タイムズ紙のインタビューでも、アキノ大統領は、あたかも中国を第2次世界大戦の際のヒトラー指導下のドイツと同じだと言わんばかりの調子で断罪している。
アキノ大統領は、依然としてフィリピン国民の6割以上の強い支持を受けている人気の大統領だ。
その基本姿勢は、悪いことは悪いとはっきりした発言をすることに表れている。
南シナ海における中国の行動も、はたまた、現在、フィリピン政界を揺るがしている汚職問題にせよ、アキノ大統領から見れば、単純に悪いことなのだ。
こうした明確な価値観を示すリーダーシップは、アキノ大統領の前任のアロヨ前大統領がひどく親中国派であったことと比べると実に対照的である。
フィリピンでは、そもそもこの2年間の南シナ海における中国の横暴を前に、ナショナリズムが歴史上初めてと言っていいほどの高まりを見せている。
アキノ大統領の中国に対する強気の姿勢は、実は、このフィリピン人のナショナリズムが支えていることを忘れてはならない。
7107もの島々からなるフィリピンで、異なる言語を話す国民がまとまることは、これまで滅多になかったのだが、今回ばかりは、中国はフィリピン人の琴線を刺激している。
なにしろ、中華系のフィリピン人ですら、フィリピン人としてのナショナリズムを強く感じているようだ。
そもそもアキノ大統領であれ、先祖をたどれば、中国の福建省の出自なのである。
この点で、中国は、「弱くて小さい」フィリピンのナショナリズムを明らかに読み誤った。
実は今頃になって、中国側は、フィリピンを懐柔するためか、北京に来て話をしてほしいと、フィリピン人有識者に盛んに呼びかけているという。
残念ながら、時すでに遅しである。
一方、日比関係について言えば、2013年12月に行われた日比首脳会談後には、デル・ロサリオ・フィリピン外相も、アキノ大統領と安倍晋三総理の相性は格別に良いと漏らしているという。
首脳レベルで価値観が完全一致するというのは、現在の格別な日比関係を象徴しているかのようだ。
そして、2013年の台風ヨランダの後の、自衛隊の迅速な現地派遣は、そうした日本の評判をさらに高めることになった。
ベトナムと並んで、東シナ海と南シナ海における中国の見境のない海洋進出が、日本とフィリピン両国のこれまでの緊密な関係を、一層非の打ち所がないものにしていることは間違いない。
■「ラプラプ」の逆襲、フィリピンによる法律戦と世論戦
そして、フィリピンは、1年ほど前から積極的な攻めに出ている。
と言っても、武力を使うわけではない。
法律である。
南シナ海における中国の力の誇示に業を煮やしたフィリピンは、中国の国際法上の不法な主張に対して、国連海洋法条約上の、「岩」や「島」の解釈をめぐって、国際仲裁裁判所に訴えることにしたのである。
フィリピンの方法論をごく簡単にまとめるならば、中国とフィリピンが争っているスカボロー礁やアユンギン礁に関して、両国間の現実の主権争いの裁定を裁判所に求めているわけではない。
すなわち、フィリピンは、中国が主張している、いわゆる「九断線」の基礎にある、中国が領有権を持つという南シナ海の島々が果たして本当に、国連海洋法条約に言うところの「岩」や「島」と解釈できるのかについての一般的な解釈判断を求めたのである。
これは、国際的な法律紛争の隙間を穿つようなアプローチと言ってもよい。
国際仲裁裁判所が、フィリピンの訴えを認めて明確な解釈判断を出すならば、中国の九断線の中の島々は全て中国のものであるという大胆不敵な主張の基礎が、一挙に崩れるおそれがあるからだ。
中国は伝統的に国際法に弱い国だ。
明治期の日本の近代国家としての成り立ちは、国際法の正確な理解とその実践で築かれたと言ってもよいが、
現代の中国の法的主張は、残念ながら時代錯誤感に満ちている。
こうした中国の弱い脇腹を、国際法解釈という細い針でさらりと刺したのがフィリピンなのである。
あたかも、16世紀に、地域の部族長に対して改宗と服従を迫ったマゼランたちを、地元の部族長のラプラプが巧妙な戦術をもって撃退したように、フィリピンは中国に逆襲を始めたのである。
この針の一刺しの効果は、実際にすでに出始めている。
これまでASEAN諸国との間で、南シナ海の紛争に関する行動規範(COC)を全くと言っていいほど前に進めようとしなかった中国が、2013年夏以降、急にCOCの議論に前向きの姿勢を示すなど、ASEAN諸国に対する「善隣友好外交」を始めたのである。
さらに、フィリピンは、この法律上の戦いを公にし、国際的な世論に訴え出ている。
フィリピンは、大国中国の向こうを張って、中国が得意の世論戦に健気なまでに挑もうとしている。
この3月末にも、フィリピン外務省は、国際的な法律チームがまとめる予定の覚え書きを国際仲裁裁判所に提出することになる。
今後、フィリピンは必死の覚悟でこの法的プロセスを前進させ、広く世界の世論を味方につけようとすることになるだろう。
■東南アジア諸国との連携を
フィリピンなどの東南アジア諸国は、そもそも、民族や宗教が異なる中で、ASEANとして徐々にその一体性を強めてきた。
中国という台頭する大国の出現は、少なくともフィリピンやベトナムといった、中国に近い国々を強く警戒させ始め、国によって対中政策の温度差はあれど、ASEANの結束もまた強まっている。
最近では、この1月末に中国が、ボルネオ沖のマレーシア領のジェームズ礁にまで海軍艦艇を派遣し、その主権を守ると高らかに宣言するようになると、
マレーシアまでもが対中警戒心を急速に高めつつある。
現在、フィリピンは、日米との様々な協力を強化するとともに、ベトナムやマレーシアなどの南シナ海に権益を有する地域諸国とも協力を深めようとしている。
これらの国々の海軍や海上保安機関同士の交流が一層進んでいる。
政府のみならず、有識者やシンクタンクの研究者たちが、あらゆる機会をとらえて、対中政策を盛んに意見交換するようになっている。
フィリピン大学の海洋問題研究所を訪れると、
「中長期的な対中政策をフィリピン政府に意見具申するので、ぜひ日本の専門家とも意見交換したい。
ついては、もっと頻繁に来てもらえないか」
と、バトンバカル所長より開口一番に言われてしまった。
今や、日本の政府内外の中国や安全保障の専門家は、中国や米国に行っているだけでは全くと言っていいほど不十分なのだ。
東南アジアの同朋は、
日本が、東シナ海で中国に対する最前線にいる
ことを、よく分かっている。
わたしたちは、マニラや、ハノイ、クアラルンプールにもっと頻繁に足を伸ばす必要があるだろう。
とりわけ、東南アジア諸国の、安全保障や対中政策の専門家、そして海空軍やコーストガードといった様々な分野に属する人々を、明確な意図を持って、もっと1つに結びつけていく必要がある。
■天は自ら助くる者を助く
フィリピンの対中戦略は、実は最初から明確であったわけではない。
それは、この2年弱ほどの間の試行錯誤が行き着いた結果と言ってよい。
実際には、海上における防衛力や法執行能力が弱体な国が、力による島の奪取という方法を取る中国を抑止する手立てはほとんどない。
手をこまねいていれば、時間は中国の味方である。
さらには、そもそも南シナ海においてフィリピンの領有する島々が、歴史的にも米西戦争(アメリカとスペインがキューバとフィリピンを舞台に戦った戦争)後に結ばれた1898年のパリ条約における割譲対象にも含まれておらず、その結果、米比相互防衛条約の対象ではなかったのである。
このことは、日本の尖閣諸島が明確に日米安全保障条約の対象であることと対照をなしている。
そして、米軍がフィリピンのスービック海軍基地からも撤退した1992年以降に、中国がフィリピン領のミスチーフ礁を奪取し、そのプレゼンスを徐々に強めていったという歴史がある。
この赤裸々な現実の前で、法律戦と世論戦に特化せざるをえないフィリピンの対抗策は致し方ないと言えよう。
逆にここから私たちが得られる教訓は、
力を見境なく行使する中国の前では、
やはり
★.自らの力と
★.同盟
という2つの抑止力のみが自らを助けるということだ。
中国の意図如何にかかわらず、
今後、10年、20年という長い年月にわたって、わたしたちの抑止力をどう維持強化するかが、わたしたちに突きつけられた最大の課題である。
空港に向かう帰り道、バレンタインデーのデートで人々がごった返すマニラの夜景の向こうには、何年も先の日本の明日が待っているのかもしれないと、ふと思ったのは、きっと旅先の筆者の感傷のせいなのだろう。
(本稿は筆者の個人的見解である)
松本 太 Futoshi Matsumoto
世界平和研究所 主任研究員。東京大学教養学部アジア科 昭和63年卒。外務省入省。OECD代表部書記官、在エジプト大使館参事官、内閣情報調査室国際部主幹、外務省情報統括官組織国際情報官等を経て、平成25年より現職。
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